昭和20年9月27日、昭和天皇とマッカーサーの
第1回会見が行われた。
その時、昭和天皇は戦争に伴う一切の責任を自ら負われる旨の
発言をされた、とマッカーサーは後年、自身の回想録に記した。
ところが、この会見で通訳に当たった奥村勝蔵が認めた
公式記録というべき「御会見録」には、
そのような発言は全く出てこない。
そこで、昭和天皇は実際にはそうしたご発言はされなかった、
という見方が提起された。
最初にそうした見解を示したのは、戦史家の児島襄氏。
彼は、当時まだ公開されていなかった御会見録を、独自に入手。
大日本帝国憲法下の天皇は立憲君主として政治上、
法律上無答責の立場だったから、昭和天皇ご自身がそのような
発言をされるはずがないとして、
いわゆる天皇「戦争責任」論に反対するスタンスから、
昭和天皇の戦争責任発言を否定した
(初出は昭和50年、『天皇と戦争責任』)。
その後、前関西学院大学教授の豊下楢彦氏も別の立場から、
昭和天皇の責任発言を否定
(初出は平成2年、『昭和天皇・マッカーサー会見』)。
だが、そうした見方は結局、
少なくとも学問的な議論の場では支持されなかった。
東京都立大学(首都大学東京)名誉教授の升味準之輔氏の
『昭和天皇とその時代』(平成10年)をはじめ、
日本大学教授、古川隆久氏の『昭和天皇』(平成23年)、
京都大学教授、伊藤之雄氏の『昭和天皇伝』(同)、
静岡福祉大学教授、高橋紘氏の『人間昭和天皇』下巻(同)など、
全て昭和天皇の責任発言を事実と認める。
最新の京都大学文書館助教、富永望氏の
「天皇・マッカーサー会談」(『歴史REAL 昭和天皇』平成27年)
は、やや自信なさそうだが、豊下論文も参照した上で
「公式の会談記録にはないが…『自分が戦争の責任を負う』という
発言も、実際にはあったのかもしれない」とする。
私も以前、この問題を取り上げ
(豊下説には直接、言及しなかったが)、
責任発言の事実性を論証した(初出は平成14年、『皇室論』)。
決定的なのは、現代史家の秦郁彦氏が発掘した史料
(初出は昭和53年、『昭和天皇5つの決断』他)。
GHQの政治顧問だったジョージ・アチソンが米国務省に送った
極秘電報(1945年10月27日付、1974年8月18日に
「極秘」指定解除)だ。
しかし、詳しくは改めて。